同時代性
本日は、親の仕事の都合で高校に行く予定になっていた。春休みに高校で行う仕事とは何を想像されるだろうか。ここ4年ほど、新年度の準備が始まるこの時期に私はその手伝いをしている。新しく学校に入学してくる生徒のための、物品販売の手伝いである。私はお金の管理を任されている。出納長。といっても、お金を受け取ってお釣りを渡すだけの楽な仕事。あとは会場設置。仕事の8割ほどは親がするので報酬はない。無償の愛、アガペー。大した仕事量ではないので別に報酬は貰わなくてもいいと思っている。
さすがに4回目ともなると新鮮さが無くなってきた。最初に手伝いをしたのは高校を卒業してすぐの頃だったと記憶している。私もほんの少し前までは高校生だったんだよなぁと、まだ中学を卒業しただけという初々しさの残る生徒の姿を眺めながら感傷にひたって懐かしさを味わっていた。あの頃は3歳差、今は6歳差。時代の移り変わりには大抵気が付かないもので、いつの間にか始まって終わっていた。
山田詠美さんがこんな文を書いている。
「時代のまっただなかにいる者に、その時代を読み取ることは難しい。」
山田詠美 『僕は勉強ができない』文庫版あとがきより
こういうことだと思う。今この時、この瞬間をその場で把握することはできない。今この時、この瞬間は、過去として振り返るときに初めてわかるのだと。つまり、大学生の時に大学生の時のことは理解できないということだ。矛盾しているようでややこしい。でも実際そうなのではないか思う。悩み、考え抜いて出した答えが後になってどうでもよかったり、あの時もっとこうしておけばと思ったり。そう思うということは、過去と考えが変わったということだろうか。
人の中身は時の流れと共に移り変わっているんだなぁとしみじみ思う。
写真204:久々の写真です。校舎内廊下です。ノスタルジー。
写真205:中庭です。
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