2006年12月27日水曜日

手術当日(入院3日目)

 昨日はそれほど深くは眠れませんでした。朝5時半頃起床・・・。
 午前の眼の診察の終わりに、点滴がさされました。
 ブシュッ!
 うぇっ!
 何かささっている!
 痛い?
 えっ?ずっとこの状態?
 しかし、30分ほどすると感覚に慣れてきたのか、痛みを感じないようになりました。一安心。へぇ~、これが点滴か~・・・。










写真127:ささっている・・・。












写真128:500ml入り

 不思議なことに手術への不安はほとんどありませんでした。自分ではどうしようもない症状で、手術中は麻酔で意識がないし。むしろ就職活動や今後の学校生活、目の見え方に不安を感じていました。
 午後には母方の祖父母もお見舞いに来てくれました。ありがとう。餅つきに行きたかった・・・。
 手術予定時間は午後4時となっていたのですが、どうやら前の手術が長引いているようでした。しかし前もってこの様な事態になることもあると説明されていたので、悠々と受け入れることができました。
 あせらないあせらない、一休み一休み。

 現時点で考えられる病名および症状
 左眼)裂孔原性網膜剥離
 手術名
 左眼)網膜復位術

 午後5時、ついに手術室からお呼びがかかりました。
 決戦の時、来たる。といっても私は何も出来ません・・・。大切なのはおとなしく寝ていること。
 病室からそのままベッドをコロコロと移動させて手術室に向かいました。おぉ、これが手術室に向かう雰囲気か・・・。エレベーターを降り、通路を通っていく。止まった。手術室に入る直前の広めの部屋?の様な所でした。壁には可愛らしい動物の絵が貼ってあり、幼い子供達の恐怖心を和らげる工夫をしているんだなあと思っていました。すると私の手術を担当される助手の方だと思うのですが、その人が挨拶に来られました。2名来られました。

 「お待たせしてすみませんね。」
 「いえいえ、のんびり待っていましたから。よろしくお願いします。」

 さらに奥へ進みました。何だか手術室っぽくなってきました。この辺りで病室のベッドから手術台へ移動しました。そこに驚きがまっていました。手術台の横幅がとても狭いのです。横に体勢を変えようものならすぐに落っこちるほどの幅でした。
 「横幅が狭いので気をつけてくださいね。」
気をつけますとも。
 そこで書類の記入漏れが発覚しました・・・。手術を行うには被手術者が同意書にサインをしなければならないのです。氏名はしっかりと記入していたのですが、手術同意の欄のチェックを忘れていたのです・・・。どうもすみませんでした・・・。

 さてさて、そこからさらに移動し、ついに最終ダンジョンに辿り着きました。手術用のライトらしき物がある。到着するとすぐに、横幅の狭い平均台のような手術台に手を置く場所が設置されました。そして手の指に心電図を読むためのクリップが付けられ、足には手術中に血流を良くするためのマッサージ器のようなものが取り付けられました。そして帽子のようなものも被りました。

 「それでは麻酔しま~す。ちょっと腕がヒヤッとするかもしれませんよ。」
 ついに来ました。
 うわっ!何か来た!左腕から何かがジワジワ来た!すると今度は左鎖骨の下あたりが痛くなって、
 「何かこの辺が痛いです。」
と言い残して最後、意識を失いました。何だこの意識の失い方は・・・。

 ・・・。
 ・・・。
 ・・・。

 意識を取り戻します。
 うぅ・・・、うぅん・・・。何だ・・・。膀胱が破裂しそうだ・・・。気分も悪い・・・。吐き気がする・・・。激しい尿意は横を向くと改善されました。手術後はベッド上で寝ていないといけないので、おしっこの管が入っています。
 「すごいすごい。」
 「・・・。」

 しかし吐き気は治まらず、膿盆を用意してもらいました。モドしてしまいます・・・。
 これが全身麻酔の代償・・・。

 【膿盆(のうぼん)】
→医療に用いるそら豆形の容器。ガーゼや包帯、吐物、手術による切除片など、処置に際して汚れたものを受けて入れる。膿盤。

 午後10時に病室に帰ってきました。うぅ、まだ気分が悪い・・・。早く寝てしまおう・・・。
 ・・・。
 時計を見る。午後11時・・・。まだこんな時間・・・。はぁ・・・。胸がムカムカする・・・。
 ・・・。
 時計を見る。午前0時・・・。まだ・・・。うぅ・・・。気分が悪い・・・。我慢できるか・・・。どうしよう・・・。ナースコール・・・。
 長く苦しい夜はこの後も・・・。

 入院4日目に続きます。

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